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「悠久のロマン」邪馬台国は九州か...
今日の新聞記事に
吉野ケ里遺跡で新たな石棺墓が発見され、内部に赤い顔料が残っている事が確認された。
墓が赤色顔料で装飾されるのは位の高い人の埋葬の特徴で国の首長のお墓の可能性が高くなってきた。
という内容です。
卑弥呼の墓か…
邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓だとしたら、日本の歴史上の大発見です。
そして、吉野ケ里遺跡の位置(佐賀県吉野ケ里町)からして「邪馬台国」の九州説が有力となってきます。
弥生時代後期に栄えた邪馬台国の場所は謎とされ、著名な学者の間では畿内説と九州説のふたつが有力とされてきました。
邪馬台国の場所として、魏志倭人伝に当時朝鮮半島を支配していた“魏”の帯方郡から邪馬台国への行路が次のように記されています。
帯方郡より狗邪韓(くやかん)国 水行7,000余里
狗邪韓国から対馬(つしま)国 海渡1,000余里
対馬国から一支(いき)国 海渡南に1,000余里
一支国から末盧(まつら)国 海渡1,000余里
末盧国から伊都(いと)国 陸行東南に500里
伊都国から奴(な)国 陸行東南に100里
奴国から不弥(ふみ)国 東へ100里
不弥国から投馬(とうま)国 水行南へ20日
投馬国から邪馬台国 水行南へ10日、陸行1ヵ月
我々素人にはよく分かりませんが、どの方角に海の上をどのくらい、陸の上をどのくらい進んだところで邪馬台国に着くという内容ですが、距離や日数が混在し、また当時(弥生期)の基準が不明確なため位置を特定することが困難で、前述のようなふたつの有力な説があると言うことです。
まだまだ分からない事だらけですが、今回の発見は歴史や考古学を研究する専門家の方々にとっては未知の世界を切り開く大きな発見でしょう。
私たちにとっても邪馬台国や卑弥呼の存在は、日本人のルーツに思いを馳せるおおきなロマンです。
吉野ケ里遺跡で新たな石棺墓が発見され、内部に赤い顔料が残っている事が確認された。
墓が赤色顔料で装飾されるのは位の高い人の埋葬の特徴で国の首長のお墓の可能性が高くなってきた。
という内容です。
卑弥呼の墓か…
邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓だとしたら、日本の歴史上の大発見です。
そして、吉野ケ里遺跡の位置(佐賀県吉野ケ里町)からして「邪馬台国」の九州説が有力となってきます。
弥生時代後期に栄えた邪馬台国の場所は謎とされ、著名な学者の間では畿内説と九州説のふたつが有力とされてきました。
邪馬台国の場所として、魏志倭人伝に当時朝鮮半島を支配していた“魏”の帯方郡から邪馬台国への行路が次のように記されています。
帯方郡より狗邪韓(くやかん)国 水行7,000余里
狗邪韓国から対馬(つしま)国 海渡1,000余里
対馬国から一支(いき)国 海渡南に1,000余里
一支国から末盧(まつら)国 海渡1,000余里
末盧国から伊都(いと)国 陸行東南に500里
伊都国から奴(な)国 陸行東南に100里
奴国から不弥(ふみ)国 東へ100里
不弥国から投馬(とうま)国 水行南へ20日
投馬国から邪馬台国 水行南へ10日、陸行1ヵ月
我々素人にはよく分かりませんが、どの方角に海の上をどのくらい、陸の上をどのくらい進んだところで邪馬台国に着くという内容ですが、距離や日数が混在し、また当時(弥生期)の基準が不明確なため位置を特定することが困難で、前述のようなふたつの有力な説があると言うことです。
まだまだ分からない事だらけですが、今回の発見は歴史や考古学を研究する専門家の方々にとっては未知の世界を切り開く大きな発見でしょう。
私たちにとっても邪馬台国や卑弥呼の存在は、日本人のルーツに思いを馳せるおおきなロマンです。
(早稲田育英ゼミナール 読売ランド教室) 2023年6月 6日 20:59